2015年9月16日 朝日新聞

オピニオン 耕論 読み解き経済 「少数者のための制度とは」
理論経済学を研究する 松井 彰彦さん


■慣習を変えねば

 まず、少数者は、「ふつう」でないという理由だけで不利益を被る。聴覚障害者が使用する手話は、多数者が使用する口話同様、文法構造を持った言語である。しかし、少数者であるがゆえに、多数者のコミュニケーションの輪に入ることが難しい。

 私たちはみな、何らかの形で社会に合わせている。それが「ふつう」のことだからだ。しかし、「ふつう」に合わせるには金銭的・心理的コストがかかる。そのコストは人によってまちまちだ。「ふつう」に合わせるコストが非常に高い人達にとっては、「ふつう」の基準自体が「障害」となる。その障害をなくそうと制度を整備すると、我慢して「ふつう」に合わせている人は不公平感を募らせる。

 法律などフォーマルな制度が変わっても、慣習や規範などインフォーマルな制度が変わらなければ、新の意味で制度が変わったとは言えない。そして、インフォーマルな制度を変えていくのは、私たち一人ひとりである。

■教育 大きな役割

 元来、「ふつう」という概念も相対的なものであり、制度と同様に変えることができるものである。「ふつう」の概念を押し広げ、当事者や周りの人々の負の感情を取り払うことが大切だ。その際、教育も大きな役割を果たす。

 先日、瀬戸内地方に暮らす色覚障害のある男性が、私たちの研究チーム「社会的障害の経済研究」に寄稿してくれた。ご本人の承諾の下、内容を一部紹介したい。

 「小学校の美術の時間は辛い時間でした。『そんな色はない』、『そんな色はしていない』と言われ続けていました」という男性は、家の中でもその話はタブーで、「非常に自己否定的な感情を持って」いたという。しかし、中学3年生のとき、「数学の先生も色盲である」(原文ママ)と知ったことで転機が訪れる。「先生も『自分もだ』と述べ、人口の5%程度は色盲であり、特に文化人に多いのだ、と教えられ……個性の一つとして相対化できるようになるきっかけを与えてくれました」

 島の絵が好きだというので、お願いすると、わざわざ描いて送ってくださった。同じときに撮ったという写真と絵をPCで白黒に変換してみて驚いた。私には見えなかった海の濃淡がそっくりなのだ。それを見て、昔訪れた瀬戸内海の光景を思い出した。日が沈むと色は次第に衰え、星が瞬きだす。全てが濃淡の世界になり、島影がくっきりと夜空に浮かび上がる。私たちの住んでいる社会で「色覚障害者」と呼ばれる人は、あの光景を最もはっきりと、最も美しく見られる人なのかも知れない、と思った。