2002年3月23日 朝日新聞

色覚検査 全員強制が差別の温床に

 金子 隆芳 筑波大学名誉教授(心理学)

 小学校での色覚検査を03年度から廃止するという文部科学省案に対し、16日付 「私の視点」欄で、矢野喜正氏が反対しておられる。しかし、私はこれを大きな福音と受け止める。
 文科省案は、色覚検査を学校保健法に基づく必須項目から削除しようというもの で、まるきり禁止するものではない。
 旧文部省は、(2)1986年に「色覚異常児童生徒のための教科書色刷り改善の手引き」で業界を指導し、(1)89年には「色覚問題に関する指導の手引き」を全国の教育機関に配布し、(3)95年には、学校での検査の目的を「色覚異常を見つけるのではなく、学習上の支障の有無を知るため」と改正した。今回の措置は、これらの延長線上にあり、段取りは踏まれている。
 これまで、進学・就職などで色覚異常者は不当に無視され、いわゆる色覚差別を受けてきた。そのような差別の温床となってきたのが、まさに学校の色覚検査であったと思う。
 しかし、色覚異常者がそんなに無能でないことは、矢野氏自身が「色弱者が色彩を扱う仕事につくことはできる、と断言する」と言われる通りで、かく申す私自身も異常であるが、色彩学の研究者の端くれぐらいはつとまっている。
 色覚検査は遺伝ともかかわり、人権問題とのバランスから見て、学校で全員強制的にせねばならぬほどのものとは思えない。これからはインテリジェンス(情報)と自己責任の時代である。自分の色覚についてどう考えるか、学校ではそのための相談に応じられる態勢こそが望まれる。廃止反対論者は、強制検査の温存に頼るのでなく、色覚問題についての啓蒙に意を注いでもらいたいものだ。
 現在、学校で使われているのは「石原式検査表」だが、これは大正初期、陸軍の徴兵検査用に開発された。その成り立ちは措いても、いまどきこれで一斉検査するなどは、時代離れな話である。学校でこれに引っかかると「異常の疑いあり」として、精密な検査を受けるように勧告されるが、そこまで検査を受ける子どもは極めて少ない。受けたところで「疑い」が本物になるだけである。
 とどのつまりが、石原式で引っかかっただけで、即「異常」のご託宣となり、一生、「異常」がついて回る。この悪循環を断ち切るには、学校の検査をやめるほかない。